患者様の声




「その人に合ったオーダーで」

宮嶋 迪子 様

左膝が痛く、2001年に他院で、内側の半月版を手術にて取りました。
その時から2年後に、また痛みが出ました。
もう私の膝は、半月版を1度手術で取ってしまったので人工関節しかないと言われました。
痛みが取れるなら、人工関節にしようと思ったのですが、他の患者さんが、

「実は、人工関節の手術に失敗して、すぐに再手術をして取り替えて大変な思いをした」

という話を聞いたので、その病院で手術をするのはとても不安になりました。
自分の膝を上手く手術してくれる病院をさがしていたら、同じエホバの証人の知人から、
知っているだけで輸血無し(自己血も無し)の完璧な手術を5人、また、来月も1人予定
している浜田山病院のことを教えてくれました。
私は決心して、浜田山病院の小瀬院長に相談をしたところ、私のレントゲン写真やCT画像
を一緒に見ながら丁寧に説明していただき

「痛みを取って必ず元どおりにします」

と約束してくれました。
ともかく小瀬院長は、私の話を聞いてくれてきちんと解るように説明してくれます。
とても安心できました。そして完璧な手術、手術後は、私の膝に合ったメニューを作成し
私の膝を1番良く知っている同じ理学療法士の方が担当してくれ、高度なリハビリをしてい
ただいたおかげで、手術3日後には車椅子、その1日半後には歩行器で歩けるようになり、
何の不安も無くやせていた筋肉も元どおりになり完治することができました。
今では同じ手術をした方と友達になり、たのしいおしゃべりもしています。

「一生面倒をみます」

と言ってくれた小瀬院長の丁寧な診察を受け、いまだに手術後ずっと1番私の膝を理解して
くれている理学療法士の方にリハビリをしていただいてます。
浜田山病院を教えてくれた知人に感謝しています。

 

 

 

「手術した後の安心感」

阿部 佐和子 様

腰痛がひどくなり、近所の整骨院に通っていました。
その整骨院の先生にはとてもよくしてもらいましたが、腰の状態が思ったよりも悪く、いつしか
痛みで前かがみでないといられなくなりました。
また、左足のしびれも、普段の生活で支障をきたすようになりました。
友人に聞くと、その友人の知り合いが腰の手術を他院で行った際、歩行障害が出て歩けなくなり
その方は、寝たきりになったので絶対手術はやめたほうがいいとまで言って心配してくれました。
しかし私は今のままではどうにもならなくなったので、整骨院の先生にそうだんしたところ、
深いつながりがある浜田山病院を「絶対大丈夫だから」と紹介してくださりました。
私は整骨院の先生の言葉を信じ、浜田山病院で手術をする決心をしました。
そして手術、リハビリ。気がついてみたら、驚くようにあの辛い腰の痛み、左足のしびれ供に
すっかり無くなっていました。しかも小瀬院長は

「最後まで面倒をみます」

と言ってくれました。

「手術した後なにもかも安心」

手術する前には考えられなかったことですが、今はきれいにお化粧をして旅行なども考えています。
本当に手術をして良かったと思います。
しかし、友人が心配してくれて言ってた事も事実です。

「病院は自分で選ばなければいけない」

と思いました。
この私の体験談をみて、浜田山病院で手術をすれば安心だと知っていただけたらと協力させて
いただきました。

 

 

 



「さいごまで面倒をみてくれる病院です」

飯田 かほる 様

右の股関節の痛みがひかず、とある病院で「変形性股関節症」と診断され、手術を受けました。
手術後しばらくは痛みはなかったのですが、徐々に手術前と違った痛みが出はじめました。
それだけではなく、なんと、左右の脚の長さが違ってきたのです。
手術を受けた病院で診察してもらったのですが、痛みと左右の脚の長さの違いの原因はなんと
「手術した右の股関節の付近の骨が溶けた」とのことでした。更に
「骨が溶けた原因が判らないので、これ以上はうちの病院ではどうすることも出来ない」
と言われました。
途方にくれ、逆の左股関節を手術してもらった浜田山病院にわらをもすがる思いで診察をお願い
しました。

小瀬院長は、うちで手術左の股関節と供に、他院で手術してもう治せませんと言われた右の股関節
も一緒に面倒を見てくれると言ってくれました。
今年4月13日、エホバの証人である私の希望どおり、輸血無し(自己血も無し)の手術をしてくれました。

手術はうまくいって、痛みもなく、左右の脚の長さも同じになりました。
現在は、定期的に診察に来て、小瀬院長にメンテナンスをしてもらっているので安心です。
やはり、「最後まで面倒をみます」の一言は、不安もなくとても嬉しいです。

 

 

「長い苦しみから解放されました」

高井 照枝 様

私は、2014年10月29日に交通事故で足、腰を受傷しました。その後それがきっかけなのか、
2015年2月18日に両膝(右は人工膝関節、左は半分人工膝関節)を某大学病院で手術しました。
手術後も痛みがひかないまま時は過ぎました。(入院中ボキッという音とともに肩も痛くなりました。
膝と肩の痛みも先生に話したのですが、何の処置も説明も無いまま3月17日に退院を言い渡されました。
退院時に、主治医のS先生からの、今後のリハビリの説明もまったくありませんでした。
やがて、主治医であるS先生も3月末に某大学病院をお辞めになりました。

その後、某大学病院に受診するも、
「退院後は当病院ではリハビリは受けられません」
の一点張りで、その後この痛い膝をどこでどうリハビリすれば良いか解らず、近所のリハビリ院に
行きました。

そこで言われたのが、
「紹介状が無いとリハビリは受けられません」
でした。

某大学病院で紹介状を書いてもらうようにお願いしたところ
「当時の主治医ではないので、紹介状を書くことが出来ない」
と言われました。このころから毎日が痛くて不安で夜も眠れなくなりました。
どうにもならなくなった矢先の7月19日、やっともと主治医のS先生の病院を探しあてました。

手術してからずっと両膝の痛みが治らないことと、肩が痛いこと、そして、膝のリハビリを受け
られないので紹介状をかいてほしいことを言いました。
するとS先生はとりあえず肩に注射をしました。しかし、肩の痛みは取れませんでした。

次にS先生は
「膝のリハビリの紹介状なんだけど、あなたの膝はみんなと違うから、やたらのところに紹介すると
責任がもてないし、保険が終わったからもうリハビリ出来ない」
と言われました。説明がこれしかなく、遡って考えてみたのですが、3ヶ月放置された後自分のせいで
こうなったのか、S先生の手術のせいでこうなったのもわたしには解りません。

私はもうS先生に見放された、としか考えられなくなり涙が出てきました。
しかし、どうすることも出来ないので、S先生の病院に電話したのですが、何回電話しても、S先生は
電話に出てくれませんし、電話交換の方に「S先生にお伝えください」と伝言しても、その後何の連絡も
来ませんでした。

S先生の対応に私は無責任すぎると感じ、もう裏切られて、生きていてもしょうがない、もう死にたい
と思うようになりました。
そんな時、別の件で近所の内科医院に掛かったとき、ないかの先生にひざの話をしたところ、
「浜田山病院に行くといいよ」とおしえてもらいました。
そして、小瀬院長と出会ったのです。

小瀬院長に手術した直後から痛みが変わらないこと、リハビリが出来なくて困っていたこと全てを
話しました。
浜田山病院で、CT,MRI,レントゲンを検査し直してもらい、小瀬院長は、
「先生を代表してあなたに謝ります」
と言ってくれました。そして
「再手術もリハビリも、当院で治るまでとにかく一緒にがんばりましょう」
と言ってくれました。

私はその言葉を聴いて、1年6ヶ月ぶりに、悪夢から開放され、希望を持て、嬉しくて涙が止まりません
でした。

今は、再手術の為入院しています。治ることの喜びでいっぱいです。




「おせわになりました。そしてこれからも」

三牧 雅子 様

6年前に当院で両足人工股関節の手術を受けました。
入院中からリハビリが始まり、退院後もずっとリハビリを続けています。
ずっと主治医やリハビリの先生に励まされています。
特に術後の後遺症である脱臼を経験した時には、精神的にもつらかったのですが、何とか乗り切れたのは
主治医、看護師さん、そしてリハビリの先生のおかげと感謝しています。
今はこれからも何が起こっても、皆さんのサポートがあれば大丈夫だと思えることが出来ます。これから
もちゃんとリハビリに通いますので、よろしくお願いします。